製品一覧
ED19を組みました。ED191とED194です。
各2台です。
4110は、美唄、真谷地のタイプがございます。
EH10は売り切れました。
EF57は、ご用意できる機種が若干ございます。
いずれも残り少ない製品ですのでお早めに。

1/87製品 / 機関車 / 4110.EF57
実車説明
製品説明
奥羽本線の福島・米沢間の板谷峠越え区間用にドイツのマッファイ社から輸入された勾配線蒸気機関車4100形の機構を元に、日本で設計を改良して国産された機関車です。
基本的な機構面では4100形を踏襲し、動輪を5軸持ち、従輪をもたないE型機です。
1914年製の4110形は、奥羽本線用として18両が庭坂機関庫に配属されたほか、鹿児島本線(現・肥薩線)の峠越え区間である人吉-吉松間専用として、12両が人吉機関庫に配属されました。
1917年製は、歩み板を第2動輪上部で切り下げ、それにともなって蒸気管覆いの形状が丸みのあるものに変更されており、若干印象が異なります。7両が奥羽線、2両がが鹿児島線に配置されました。
急勾配区間での性能は良好でしたが、特殊な構造のため運用線区は限られており、上記以外の区間で使用されることはあまり有りませんでした。
1927年に、新鹿児島本線開通で人吉-吉松間の輸送需要が減少し、一部が休車となり、4147が広島に転属しましたが、ほとんど活躍する機会もなく、そのまま休車となりました。
その後、肥薩線では1945年にD51形重連への置き換えが行われ、奥羽本線ではE10形の登場によって1950年に国鉄から姿を消しました。
廃車された一部は、松尾鉱業鉄道と美唄鉄道に譲渡され、松尾鉱業鉄道では1951年の電化まで、また美唄鉄道では1971年の廃線まで使用されました。
美唄鉄道では、払い下げの4110の他、国鉄4110形や9600形と同形の蒸気機関車を自社発注し、国鉄払下げの9200形などと共に使用されていました。
基本的な機構面では4100形を踏襲し、動輪を5軸持ち、従輪をもたないE型機です。
1914年製の4110形は、奥羽本線用として18両が庭坂機関庫に配属されたほか、鹿児島本線(現・肥薩線)の峠越え区間である人吉-吉松間専用として、12両が人吉機関庫に配属されました。
1917年製は、歩み板を第2動輪上部で切り下げ、それにともなって蒸気管覆いの形状が丸みのあるものに変更されており、若干印象が異なります。7両が奥羽線、2両がが鹿児島線に配置されました。
急勾配区間での性能は良好でしたが、特殊な構造のため運用線区は限られており、上記以外の区間で使用されることはあまり有りませんでした。
1927年に、新鹿児島本線開通で人吉-吉松間の輸送需要が減少し、一部が休車となり、4147が広島に転属しましたが、ほとんど活躍する機会もなく、そのまま休車となりました。
その後、肥薩線では1945年にD51形重連への置き換えが行われ、奥羽本線ではE10形の登場によって1950年に国鉄から姿を消しました。
廃車された一部は、松尾鉱業鉄道と美唄鉄道に譲渡され、松尾鉱業鉄道では1951年の電化まで、また美唄鉄道では1971年の廃線まで使用されました。
美唄鉄道では、払い下げの4110の他、国鉄4110形や9600形と同形の蒸気機関車を自社発注し、国鉄払下げの9200形などと共に使用されていました。